「見ていて意味が分からない映画」ではなく、「意味が分からないけど目が離せない映画」を観ることができたと思う。
プロローグは、いかにも『SSSS.GRIDMAN』の後日談らしい、シンプルな幕開けだった。いかにも「続編ですよ」という感じだ。
しかし、中盤以降は、体感時間5分に1度、びっくりを脳に叩きつけてくる。エネルギーに満ち満ちた映画だった。
※※※ここからネタバレ※※※
「グリッドマンユニバース」。これを、私は単純に「オールライダー大集合」とか「アベンジャーズ」とか、そういった意味合いの記号的なタイトルだと認識していた。これがそもそもの誤りだった。
だったら「劇場版グリッドマンfeat.ダイナゼノン~(副題)~」みたいな感じにせず、わざわざ「グリッドマンユニバース」にする。その意味を、ちゃんと考えるべきだった。
「ダイナゼノン」のタイトルをメタ的に言えば「過去の『グリッドマン』に出てきたロボ名を拝借して付けたタイトル」である。
しかし、あの世界のダイナゼノンはグリッドマンとは関係ない、まったく独立した存在。そう無意識に脳は受け入れた。たしかにアンチや2代目はいたが、独立した世界観だと判断していた。『ウルトラマン』でさんざん通ってきたマルチバースの世界観がそうさせた。
そう認識していただけに、『GRIDMAN』と『DYNAZENON』とテレビ版『グリッドマン』は別世界という事実を、深く考えていなかったのだ。
まさか、全世界が“グリッドマンに内包された宇宙=グリッドマンユニバース”だったとは。
「そう来たかァ~~!!」
と、唸らせておいて、今度は次元を超えて彼女が出てきた。ふつうのアニメでこれをやったら意味不明だろう。というか、『SSSS.GRIDMAN』最終回当時も、賛否両論だったと記憶している。
それでも、彼女はふたたび帰ってきて戦った。ヤツも復活した。しかも、その構図は「君を退屈から救いに来たんだ」の、あの構図だ。
そして、戦闘シーンは、いかに観客の脳を処理落ちさせるかを競っているような、超特盛り欲張りカロリーマシマシセット。制作陣の情熱がダイレクトに画面から伝わってきて、しかも気を抜くと隠し玉もあって。どこまで監督は欲しがりさんだったんだろう。
さて、こうしてバトルシーンや細かいSF設定は凄まじかった一方で、ドラマパートは実に静かながらも丁寧に描かれていた。世界の真相が明らかになる場面は言うまでもなくファンタジックだし、画面的にもホラーだったが、それ以外の裕太の描写はどこまでも青臭い、生々しくも微笑ましさがあった。
告白のタイミングを逃してしまった裕太は本編後も六花に思いを告げられずくすぶってていた……というのは“続編あるある”だが、その後の描かれ方がよかった。“微妙に疎外感を感じて、うまく六花にグリッドマンの話題で関われない”“参考資料を口実に演劇を誘おうとするも、うまくいかない”“(誤解だったが)六花が彼氏の家に入るのを見て、そこそこ長く引きずる”。
こういった、一連の青臭い流れや、それを生暖かい目で見守る内海が実によかった。「頭、おかしくなっちゃったのか?」ではなく、「頭、おかしくなっちゃったんだな」なのが、笑いを誘ったと同時に、非常に“リアル”だった。そうだ、この年代の友人同士でバカをやる際は、こんな場面では疑問形ではなく断定形を使うものだ。
とにもかくにも、今回の裕太たちの活躍で『グリッドマンユニバース』は誰の物でもなくなった。
新たなるグリッドマンが生まれることを切に願うばかりである。