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香川照之主演作『宮松と山下』で「本当の宮下」を垣間見せたのは「エキストラ」ではなく「あの職業の場面」説

 私が香川照之主演の『宮松と山下』を見た理由……本音を言うと、「あの報道」が理由だった。あの一件が世間に報じられた際、この映画のこともチラリと報じられていて、それが頭に残っていたのだ。

 しかし、理由がどうであれ結論としてこの映画を観れてよかった。心からそう思える作品だった。

 ストーリーは極端にド派手な演出があったり、度肝を抜くどんでん返しがあったりするわけではない。小説で言うと、夏目漱石や太宰治の純文学のようなイメージだ。淡々と情報が、情緒豊かながら読み手に多くの解釈を委ねるようにつづられている、あの感覚を楽しめる映画だった。

それでいて、劇中では「エキストラの仕事」と「プライベートの現実」の境目を曖昧にしてあり、脳を混乱させる。

「仕事が終わり、居酒屋で寂しく飲む」「私生活では、不倫(水商売かも)している妻がいる」。いずれも虚構だったが、「妻」には名残惜しさがあったのかも……そう思わせる「洗面台と歯ブラシ」の描写に、改めて香川さんの高い演技力を感じた。

 これは当然といえば当然のことだが、香川さんはオーバーではない、おとなしい芝居もできる。

 しかし、「香川照之の演技」を頭で思い浮かべようとすると多くの人が思い浮かべるのは『半沢直樹』や『カイジ』、CMなどなど、いずれも非常に濃い、「動の演技」だろう。

 今回の『宮松と山下』の香川さんは、口数が少なく、表情も乏しい。何かショックを受けると左頬をぴくぴくさせたり、自然な笑みや愛想笑いもするが、コロコロと表情を変えるようなことはしない。

 一方で1シーンだけ、「いつもの香川照之」を感じさせる場所があった。エキストラとしてビアガーデンで諏訪太郎さんと飲んでいる芝居をする際、直前まで真顔だったのが急に「あの笑顔」に変わったのだ。 

■「ロープウェイ」で働く宮下はなぜ楽しげに見えたのか

 あの場面で見せた香川さんの豹変ぶりは不気味だった。スイッチが入ると別人になる役者さんは珍しくはないだろう。

 しかし、宮松の場合は日常生活でも「宮下を演じている男」の域を出ておらず、それを別の役に切り替えただけのような……そんな薄気味の悪さがあった。

 パンフレットに載っていたインタビューによると宮下はエキストラだけでは食えないためにロープウェイで働いているのは、「足場がない宙ぶらりんの状態は、主人公の状態を示すメタファー」という意味が込められているという。

 あくまでも私見だが、ロープウェイ現場で働いている宮下は、非常に楽し気に見えた。それこそ、エキストラで働いている宮下よりも、どこか生き生きしている風に見えた。なぜか? 演技をする必要がないから? それは分からない。

 ただ、役に入っていない「自分」でいられる場所だったのは間違いないだろう。記憶を失う前と同じ几帳面さで、定規で律儀にマス目に○を記入していく場面を見てそんな感想を抱いた。

 最終的に記憶を取り戻した(=足場がない宙ぶらりんではなくなった)宮下は妹夫婦のもとを去りエキストラに戻るが、ロープウェイの仕事には戻らず、別の「地に足の着いた」仕事を探すかもしれない。それでも、私はロープウェイの仕事をする宮下の姿をもう少し観たかった。自分でも見当違いなことを書いている自覚はあるが、そう思わずにはいられない。

 いちおう職にはついているものの、どこか宙ぶらりんな私を無意識に自己投影していると言われたらそれまでだが。

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